続・マル秘で機材師

ヤフーブログからお引越し/日々の備忘録

一日の振り返り・8/31

8月が終わると同時に管理人の2連休も終わってしまいます、学生の皆さんは夏休みの終了ですかね。
もっとも今週は強制収容所に収監されているのは3日間だけで、木曜日には家に帰ってこれます。
…金曜土曜は休みというわけではなく、新しい職場でのお仕事ということになっています。
全く休んだ気がしない今日の振り返りです。

昨晩は23時くらいに寝ました、記事を更新した後すぐ晩ご飯になってお風呂に入っておしゃべりをしてたらこんな時間になりました。
9時間寝ると8時起き、さすがに寝すぎだと怒られそうだしなぁと7時半にアラームをかけておきました。
実際は犬が吠えて煩くて7時過ぎに起きてしまいました、まぁ川口邸の親戚も起きてきているしちょうどいい時間ではないでしょうか。
中野邸御一行はじめ川口邸の親族は今頃東京駅に向かっているのかと思うと昨日のうちに来ておいてよかったなぁと思います、朝ご飯を食べてしばらくはゆっくりできます。
10時半にその親戚御一行を迎えに行くまではまぁゆっくりできてよかったんですが、皆が家に来るとさすがに落ち着いてはいられません。
20人近くが実家に集結しているわけで居場所がないったらまぁ…一応実家なのに全く落ち着きません。
元々祖母は東京の人なのでこっちで火葬して東京のお墓に入ります、昼過ぎに葬儀屋さんが来て最期のお別れとなりました。
花を棺に手向けているとさすがに涙が出てきます、もちろん母親姉妹は実の親がなくなるわけでさすがに号泣してました。
それでも管理人の母親はそこまで泣いてなかったような気もします、いつもはふざけてばかりの三男もさすがに神妙な感じでした。
お別れの会が終わったら斎場に移動し火葬となります、ちゃっかり棺を運ぶ手伝いをやったので近くでお別れとなりました。
それにしても東京で最期を迎えられなかったのがちょっとかわいそうな気がしました、そんなに縁も所縁もあるわけでもない新潟で最期を迎えるなんて本人も考えてなかったでしょう。
もっとも本人は今どこにいるのか分かっていない気もしますけどね…骨になるまで2時間ほどかかるそうで待合室で食事をしながら待機となります。
皆でにぎやかに食事をして最後に遺骨を骨壷に納めるわけですが、管理人はその前に東京に帰ることにします。
なにせ明日の研修を休めるならいいですが…忌引き休暇はあるとはいえこの研修の講義の埋め合わせを他でやる言われても困るんで止むを得ません。
弟に最寄り駅まで送ってもらってえちごトキめき鉄道上越妙高まで、E127系に乗れる嬉しい時間です。
またもワンマンカーでちょうど下校の時間に重なって高校生がたくさん乗ってきて最悪でした、そもそも今日は登校日だったんでしょうか…?
というか感覚的には日曜日レベルなんですが世間一般は月曜日なんですよね、今日から新学期という可能性もありそうです。
乗り継ぎは10分ほどでシソカソセソに乗れるんですが、何やら中野邸の親戚が同じ便で帰るとかいってこちらに向かっているそう。
指定席はB席しか空いていないような状態で結局自由席を買ってホームへ、一応管理人も場所取りのために一緒についていきました。
そしたらまぁ3人掛けは適度に空いていて普通に座れそうだったので、席を確保したのを見届けて車内を移動し自分の席へ。
往路は弟がいるので指定席でしたが復路はゆったりグリーン車を取っていたので…さすがに「グリーン車だからじゃあね」とはできませんでした。
なのでそこからは1人気ままにゆったりしてました、軽井沢を通過した辺りで一眠りして起きたら大宮手前でした。
定刻どおりに東京に到着、丸ノ内線と中央線とどっちに乗るか悩んだ末に丸ノ内線にしました。
前の電車が新宿行きだったので必然的に混む荻窪行き、座っているとはいえ圧迫感があって気分のいいものではありません。
中野坂上で降りるのも大変そうだったので新中野まで乗車、道中で買い物をして家に帰りました。
19時過ぎに帰着し適度に片付けをしてパスタで晩ご飯、その後シャワーを浴びてパソコンを起動しました。

この前のお葬式は7年前の新潟の祖父のときでした、その時は管理人の父親は最期を見届けることが出来なくて今でも時々ぼやいています。
今回は何だかんだで親戚が一同に揃って最期に見送ることが出来たのでよかったんじゃないかと思います、実際会うのが何年ぶりだろうという従兄もいたので尚更。
あまり休むことが出来ませんでしたが、まぁ人の死と向き合うことができた貴重な休日だったかもしれません。
春先から下手すると人が死んでしまうような仕事をしているので尚更思うことがありました、明日からの研修に生かせればいいなぁと思います。
…まぁあまり行きたくないですけどね。